田村宗顕と片倉定広【田村定広】と阿昌蒲(菖蒲)
田村宗顕(たむら-むねあき)は、田村氏顕の子として1574年に生まれ、その後、伯父・田村清顕の養子となった。 この叔父・田村清顕の娘には愛姫がおり、1579年、12歳の頃、伊達政宗に嫁いでいる。 その後、1588年、伊達政宗によって田村宗...
田村宗顕(たむら-むねあき)は、田村氏顕の子として1574年に生まれ、その後、伯父・田村清顕の養子となった。 この叔父・田村清顕の娘には愛姫がおり、1579年、12歳の頃、伊達政宗に嫁いでいる。 その後、1588年、伊達政宗によって田村宗...
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」に登場する、真田家の家臣・堀田作兵衛と、その娘・梅に関しても追記し更新致しました。堀田作兵衛興重(堀田興重)は真田家の家臣。堀田作兵衛(堀田興重)の娘は、一般的には真田信繁(真田幸村)の側室として知られ...
隆清院(隆性院、実名不詳・生没年不詳)は豊臣秀次の娘(次女?)である。NHK大河ドラマ「真田丸」においては「たか」と言う姫の名で描かれるようだ。演じる女優さんは岸井ゆきさん。豊臣秀次の娘の母は不明であるが、元々豊臣秀次(羽柴秀次)は側室が多...
石川貞清(いしかわ-きよさだ)は、美濃出身の兄・石川一光の一族と言われ、石川光重の子ともあるが詳しくは分からない。 豊臣秀吉の使番である金切裂指物使番として、1590年の小田原攻めにて功績を挙げた。 初名は石川光吉と名乗っていたようだ。 ...
高梨内記は真田昌幸の家臣で、九度山に幽閉された際に、同行した家臣16人の1人です。そして、高梨内記の娘・采女(うめね)が、真田幸村(真田信繁)の側室となり、次女・於市と、3女・阿梅(おうめ)を産んだとされます。ただし、於市は早世し、阿梅(お...
大阪冬の陣での最後の戦いである「天王寺・岡山の戦い」。いわば、戦国時代の終焉ともされる戦国最後の戦とも言えるだろう。豊臣勢は前日の戦いで、後藤又兵衛・木村重成・薄田兼相・塙直之など多数の勇将を失い、1615年5月7日の未明、徳川勢に対して大...
山梨県の長坂にある徳雲山龍岸寺は、真田一族である真田隠岐守信尹の墓所なのですね。 この真田信尹は、真田幸隆の4男とされています。 すなわち、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸の弟となります。 1582年に武田勝頼が自決したあとは、真田昌幸とは別...
常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...
真田幸昌(さなだ-ゆきまさ)は、1601年7月24日に真田幸村(真田信繁)の嫡男として九度山にて生まれた。通称は真田大助。母は竹林院(大谷吉継の娘)と推定されているが、生年は1600年~1603年と諸説ある。祖父・真田昌幸の名を逆にし、幸昌...
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...