城や史跡などをご紹介
「岩殿山城」を探究する~歴史・縄張り(構造)・発掘調査の成果から~
武田勝頼が頼った山城岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市の標高約634mの岩殿山に築かれた山城で、登城口までは中央本線・大月駅から徒歩で約15分である。岩殿山は相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置し、南面は西から東...
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武田勝頼が頼った山城岩殿山城(いわどのやまじょう)は、山梨県大月市の標高約634mの岩殿山に築かれた山城で、登城口までは中央本線・大月駅から徒歩で約15分である。岩殿山は相模川水系の桂川と葛野川とが合流する地点の西側に位置し、南面は西から東...
要害山城の概要・アクセス要害山城(山梨県甲府市)は1520年(永正17年)6月、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)から北東へ約2.5㎞離れた標高約800mの要害山に武田信虎によって築城された山城である。武田信虎・武田信玄・武田勝頼の三代にわた...
整備計画と発掘調査城郭を調査する方法には、文献史料や絵図類などを読み解く文献調査や、現地に赴き現状の遺構を観察する縄張調査、そして発掘調査で発見された遺構や遺物を分析・考察する方法がある。躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)は1519年(永正16年)...
高野山にある「蓮華定院」は真田昌幸と真田幸村が最初に高野山に幽閉された際に蟄居した真田家ゆかりの寺院です。蓮華定院(れんげじょういん)は、室町時代の1523年に長野の小県・佐久地方の豪族と宿坊契約が結ばれたと言う記録があります。その縁で海野...
躑躅ヶ崎館山梨県甲府市に所在する躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、1519年(永正16年)の築城から1581年(天正9年)年に新府城に移転するまでの約60年間、武田信虎・武田信玄・武田勝頼の3代の居館となり、領国経営の中心であった。武田氏...
躑躅ヶ崎館の概要真田信綱(幸隆)・信綱父子の屋敷があった躑躅ヶ崎(つつじがさき)館(山梨県甲府市)は、戦国時代に甲斐国(山梨県)の守護・武田氏の本拠地として築かれた。躑躅ヶ崎館は県中部の甲府盆地の北端、南流する相川の扇状地上に位置する。東側...
深沢城とは深沢城(静岡県御殿場市)は馬伏(まぶせ)川と抜(ぬけ)川とが合流する地点、若干の起伏をともなう平地部に位置する。周囲の地形は城を築く場所としては相応しくなさそうだが、足柄地方や甲州から駿東方面へ入る交通の要衝であった。深沢城は15...
山中城の概要山中城は1568年(永禄11年)頃に、後北条氏により相模(現神奈川県)と駿府・伊豆(現静岡県)国境をめぐる緊張の中で、東海道の抑えとして、あるいは駿河方面へ出陣する際の基地として築城された。その後、防衛力強化のために増築を重ね、...
山中城とは「日本百名城」に選定されている山中城(静岡県三島市)は、戦国時代末期の天文年間から永禄年間(1530年~1560年頃)に関東の覇者・後北条氏によって築城された。箱根外輪山の西側の中腹、東海道沿いの標高580mの尾根上の東西500m...
はじめに真田信繁(幸村)の遺児である阿梅は、大坂の陣ののち伊達政宗の重臣・片倉小十郎の側室となり、その弟の真田大助も伊達家の家臣となった。片倉家が代々城主を務めた白石城は謎の城と言われるほど、築城主や築城時期、二階櫓から三階櫓への改築の有無...