どんどろ大師善福寺(大阪市)~真田丸の戦死者を弔っていた寺院

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善福寺(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院です。

この善福寺は、真田丸があったとされる北の空堀だった場所にあります。

江戸時代の1752年に高野山岩本院の法資法道が、大阪夏の陣の戦死者を弔う為に創建したのが、鏡如庵大師堂(どんどろ大師)となります。
その後、明治に入ると廃れてしまい、明治6年(1873年)に、どんどろ大師は廃庵となりました。




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なぜ、どんどろ大師と呼ばれるようになったのかは、良くわかっていません。
一説には、1834年に土井利位が大阪城代として赴任すると、近くに屋敷を構えてから「土井殿のお大師様」と呼ばるようになり、それが転訛して「どんどろ大師」と言うようになったありますが、確証はありません。

明治42年に、大阪府豊能郡豊能町にあった善福寺が現在の場所に移転してきて、どんどろ大師善福寺と称し現在に至っています。

ワタクシが訪問させて頂いた際には、お堂に入ると侵入センサーにより感知されたようで、ご住職さん?が事務所に出て来られましたので、無事にお守りを購入することができました。

また、申し出て見ると、本堂内部を撮影しても構わないと言う事でしたので、お写真も1枚撮らせて頂きましたのが、このページトップの写真です。

善福寺の場所は下記の地図ポイント地点となります。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキングをご利用願います。

どんどろ大師善福寺の南側の丘が、かつて真田丸があった場所とされます。
すぐ近くに、真田丸跡の石碑などがある「心眼寺」や、東に行くと、真田幸村の抜け穴などがある「三光神社」もありますので、合わせてご訪問なさってみて下さい。

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