白倉武兵衛(しろくら-ぶへい)は、1547年生まれの武田家の家臣で、1564年に箕輪城攻めの際、真田幸隆が武田信玄に使いを出した武田家武将として白倉武兵衛の名が見られる。
武田勝頼の自決後、白倉武助(父か?)と共に真田昌幸を頼って、真田家の家臣に加わると、幼少の真田幸村の側近となっり、上州攻略の際には矢野半左衛門尉、赤沢常陸助、佐藤備後守と共に真田昌幸の旗本の務めた。
上田城の戦いでもその活躍が見られ、また、真田幸村と共にて禰津城への援軍をした際にも功をあげている。
大坂屋敷の留守居役の際に、関ヶ原の戦いとなっている。
しかし、その後の史料に白倉武兵衛の名は見受けられない。
※下記のコメント欄にオヒョウさまより、貴重な追加情報をお寄せ頂きました。ありがとうございます。
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