松代城(海津城)の歴史~抑えておきたい真田家の松代観光スポット情報まとめ


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松代城(まつしろじょう)は戦国時代には海津城(かいづじょう)と呼ばれていた輪郭式平城で、国の史跡に指定されています。
別名は、貝津城、長野城、茅津城(かやつ)とも言います。

築城時期は不明ですが、武田信玄が善光寺平に進出すると、ここにあった館(城)を摂取し、1559年から山本勘助が築城に携わったとされています。

始めは海津城の本丸に小山田虎満(小山田備中守虎満)が城代として入り、二曲輪(二の丸)には、市川等長や原与惣左衛門が城将として守備し、春日山城の上杉謙信に備えました。

その後、春日虎綱(高坂昌信)が海津城代として入ると、1561年9月には、上杉謙信と武田信玄が大激戦となった、第4次・川中島の戦いが、海津城に西にある千曲川付近で起こっています。
このように、海津城は武田滅亡まで武田の最前線として機能しました。

1582年3月、武田家が滅亡すると、織田家の森長可が海津城に入って領国経営に乗り出します。
しかし、すぐに本能寺の変となり、織田信長が横死すると、森長可は国人の人質を楯に、美濃へと逃げます。
そのため、春日山城から上杉景勝が侵攻して、海津城は上杉家の持ち城となりました。

1598年、上杉家が会津に移封となると、海津城には須賀川城から田丸直昌(たまる-なおまさ)が3万石で入っています。

ただし、1600年2月、田丸直昌は美濃・岩村城へ4万石に移り、代わりに森忠政が13万7500石で海津城主となり、海津城を待城(まつしろ)と改名したようです。

1603年、 森忠政が美作・津山城18万6500石へと加増転封となり、松平忠輝が14万石にて入封しました。
この時、家老・花井吉成が城代となり領内の整備に尽力し、現在の松代城下町が築かれます。

1616年、代わって松平忠昌が12万石で入ると、待城から松城へと字が変わりました。

その後、1619年には酒井忠勝10万石で入りますが、1622年には上田城主・真田信之が13万石として移封となりました。

以後は、松代藩の拠点として明治維新まで真田氏の居城となった訳ですが、1711年に徳川幕府の命によって「松代城」と名を改めています。

松代城は、2016年の大河ドラマ「真田丸」にて、真田信之の居城となったことから、真田家として注目されています。
しかし、川中島が近いことから、武田信玄のイメージの方が濃い為、本丸にある石碑は「海津城」と掘られています。

松代城の観光所要時間は、ざっと見る程度でしたら20分、じっくり周りますと60分といったところです。

なお、松代には城下町も色濃く残されていますので、時間の許す限り色々と廻ってみて下さい。
現地にも案内看板などがあちこちにあり、参考になります。

真田信之の時代の松代城の様子は、下記のような感じです。

松代城(海津城)の駐車場はいくつかあります。
メインの駐車場がある場所は
下記の地図ポイント地点となります。

松代城だけ見学するのであれば、北側の駐車場の方が渋滞など少なく便利です。
こちらの記事をご参照願います。

・松代観光お勧めランキング

信州松代には上記の松代城以外にもお勧めの観光スポットがいくつもあります。
独断と偏見によるものですが、真田家に関する松代城以外のお勧めをランキングとしてご紹介させて頂きます。

(1)松代藩文武学校

松代藩の藩校で、国指定史跡です。
真田宝物館・真田邸併用の三館共通券がお安いのでお勧めです。

(2)真田邸(新御殿)

松代藩9代藩主・真田幸教が隠居した住居です。
真田家伝来の宝物館もすぐそばにありますので、セットでどうぞ。

(3)真田勘解由家住宅主屋と白井家表門

真田勘解由家と言うのは、2代藩主・真田信政と、京にいた小野お通の娘・二代お通(圓子)との間に生れた真田信就(のぶなり)が起こした分家となります。
旧真田勘解由家住宅主屋は下記です。

下記が、旧白井家表門で、無料休憩所にもなっており、北側に5台ほどの無料駐車場もあります。

この2つは、(1)の松代藩文武学校の目の前にありますので、セットで撮影しておきたいところです。

(4)長國寺(長国寺)の真田家墓所

真田家代々の菩提寺となっている長国寺には、歴代藩主の墓があります。
また、国の重要文化財にも指定されている、真田信之の霊屋もあり、大変見応えがあります。
時間が許せば、真田家ファンの方には必見の場所となります。
別のページにて詳しくご紹介させて頂いております。

真田家墓所がある松代「長国寺」のみどころ~真田信之の霊屋など

(5)旧横田家住宅

旧横田家住宅も国の重要文化財に指定されており、有料拝観が可能です。
別のページにて詳しくご紹介してみましたので、よければご覧願います。

旧横田家住宅(国の重要文化財)~松代にある真田家臣の武家屋敷

(6)旧前島家住宅と旧樋口家住宅

まだ未訪問の為、一緒にご紹介させて頂きますが、今度、松代を訪問した際には訪れてみたいと願っております。

(7)松代藩鐘楼

松代藩鐘楼は、真田信之が1622年に設置したのが始まりです。
時計の無い時代ですので、2時間ごとに鐘を鳴らして、時間を知らせていたと言います。
4台ほどの駐車場もあり、24時間見学可能です。

(8)矢沢家の表門

敷地の内には入れませんが、真田家の重臣・矢沢家の表門も修復・復元されています。
詳しくは下記のページのしたのほうをご覧願います。

矢沢頼康【矢沢三十郎頼幸】~真田家第一の家臣~弟の矢沢頼邦も

(9)大林寺

真田昌幸の正室・山手殿(寒松院)の菩提寺です。
詳しくは下記のページのしたのほうをご覧願います。

山手殿とは【真田丸では薫】~真田家を支えたなぞの女性の出自

(10)大英寺

本堂が稲姫(小松姫)の霊屋)
詳しくは下記のページのしたのほうをご覧願います。

小松姫と真田信幸(真田信之)の2人の生涯

(11)小山田家住宅

小山田茂誠は松代藩の次席家老となりました。
その小山田氏の住宅ですが、住居には御子孫の方がお住まいのですので、内部は非公開となっています。

(12)大峰寺の真田信之の墓

大峰寺は、真田信之が隠居した場所でもあり、荼毘に付されたところで、ここにも真田信之の墓があります。
ちなみに、鈴木主水の墓もあります。
ただ、松代の城下町からはだいぶ離れた所で、クルマもちょっと困難な場所となります。
詳しくは下記ページのしたのほうをご参照願います。

真田家墓所がある松代「長国寺」のみどころ~真田信之の霊屋など

以上、松代城以外で真田家に関係する松代の観光スポット一覧でした。

千曲川(信濃川)の向こう側には、上杉謙信と武田信玄が激戦を演じた、川中島の合戦場跡があり、戦国時代の歴史は、みどころがたくさんあります。
他にも幕末に活躍した佐久間象山も松代藩の藩士であったことから、承山神社などもあります。

それらのスポット以外に、松代は城下町そのものに大変趣があります。
日本のあちこちの城下町みていますが、街の至る所の住宅にて、昔ながらの武家屋敷の「門と塀」が復元されているのです。
そのため、城下町の雰囲気としては、日本の中でも松代はダントツです。
皆様も是非一度、ご訪問なさってみて頂ければと存じます。

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松代へのアクセス・行き方ですが、JR北陸新幹線の「長野駅」から、長野駅・古戦場経由松代高校行のバスで約30分、松代駅バス停下車となります。
バスは1時間に2本程度あります。
駅前からは貸自転車(レンタサイクル)もありますので、付け加えます。
なお、クルマの場合には、上信越自動車道の長野ICで降りて、松代城まで5分程度と、高速ですと近くて便利です。

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