小山田茂誠【小山田重誠】とは~真田家を頼った小山田一族
小山田茂誠(小山田重誠、おやまだ-しげまさ)は、郡内小山田氏の一族である小山田有誠(小山田弾正有誠)の子として1567年に生まれた。小山田六左衛門、小山田壱岐守とも称している。郡内領主の小山田家の一門は複数の分家が存在しており、近年発見され...
小山田茂誠(小山田重誠、おやまだ-しげまさ)は、郡内小山田氏の一族である小山田有誠(小山田弾正有誠)の子として1567年に生まれた。小山田六左衛門、小山田壱岐守とも称している。郡内領主の小山田家の一門は複数の分家が存在しており、近年発見され...
1583年閏正月29日には、丸子城の戦いにおける真田昌幸からの感状が見受けられる。 1585年8月8日なは、御料所の百姓が年貢減免を訴訟した際に、検見の上談合して納入分が減少しないよう対応せよと、真田昌幸からの命を受けている。 1597年...
真田幸村が大阪の陣にて徳川家康勢と戦った際の譜代衆に「真田源八郎」なる武将の名が見受けられます。 この真田源八郎は1585年生まれとされますが、真田幸村が入った大阪城に入りました。 大阪夏の陣の最後の夜である5月6日に、決死の覚悟を決めた...
禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...
真田幸村の妻と子・娘は下記の通りです。正室・竹林院(大谷吉継の娘)※妹婿である浅井内蔵之助の娘が、大谷吉継の養女になって嫁いだとも?女子:あぐり(あくり) - 蒲生郷喜の室長男:真田大助(真田幸昌)女子:阿昌蒲(おしょうぶ、菖蒲) - 片倉...
大谷吉治(おおたに-よしはる)は、大谷吉継の子として1581年に生まれた。母は不明。大谷吉継の弟か養子だとする説もある。名前については大谷吉胤、大谷吉勝の説がある。官位は大学助。1597年、豊臣秀吉が病状の悪化した大谷吉継を見舞うと、大谷吉...
2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」に登場する、真田家の家臣・堀田作兵衛と、その娘・梅に関しても追記し更新致しました。堀田作兵衛興重(堀田興重)は真田家の家臣。堀田作兵衛(堀田興重)の娘は、一般的には真田信繁(真田幸村)の側室として知られ...
高梨内記は真田昌幸の家臣で、九度山に幽閉された際に、同行した家臣16人の1人です。そして、高梨内記の娘・采女(うめね)が、真田幸村(真田信繁)の側室となり、次女・於市と、3女・阿梅(おうめ)を産んだとされます。ただし、於市は早世し、阿梅(お...
真田之親(さなだ-ゆきちか)の生没年不詳。 真田幸村(真田信繁)の4男とされるが、母などは不明。 別名としては石田之親、石田権左衛門とある。 真田幸村が九度山で蟄居していた際に、百姓の娘に産ませた子とも伝わる。 ただし、大坂冬の陣の前には...
大阪冬の陣での最後の戦いである「天王寺・岡山の戦い」。いわば、戦国時代の終焉ともされる戦国最後の戦とも言えるだろう。豊臣勢は前日の戦いで、後藤又兵衛・木村重成・薄田兼相・塙直之など多数の勇将を失い、1615年5月7日の未明、徳川勢に対して大...