片倉小十郎の城「白石城」~真田信繁(真田幸村)の遺児・阿梅と真田大八ゆかりの地~
真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅とその弟・真田大八(片倉守信)の墓が宮城県白石市の「功徳山当信寺」にある。1615(慶長20)年の大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が討死した後、阿梅は伊達政宗の重臣である片倉重長の継室となり、真田大八は...
真田丸関連の観光スポット
真田信繁(真田幸村)の遺児である阿梅とその弟・真田大八(片倉守信)の墓が宮城県白石市の「功徳山当信寺」にある。1615(慶長20)年の大坂夏の陣において真田信繁(幸村)が討死した後、阿梅は伊達政宗の重臣である片倉重長の継室となり、真田大八は...
はじめに1600(慶長5)年10月、関ヶ原の戦いで敗北した西軍に与した真田昌幸・信繁(幸村)父子は九度山(くどやま)に配流となった。高野山・「蓮華定院」に身を寄せて間もなく、その年の冬に庵を九度山に移した。九度山での配流生活は、家臣16名を...
はじめに真田一族の主な城郭には、室町時代からの「真田本城」・「松尾古城」(長野県上田市)、武田信玄の幕下となった真田幸隆が1551(天文20)年に攻略し本拠とした「戸石城」(長野県上田市)、1563(永禄6)年に攻略した新たな本拠とした「岩...
【「海津城」としての歴史】「松代城」は善光寺平の南東部、千曲川東岸の微高地に築かれた平城で、1560(永禄3)年頃に、武田信玄の命により「海津城」として築かれた。『甲陽軍艦』では、1553(天文22)年に清野屋敷を召し上げて、山本勘介の縄割...
真田幸隆・真田昌幸や真田信之・真田幸村と言った真田家にもゆかり深い吾妻の岩櫃城(いわびつじょう)。岩櫃城は、最初、鎌倉時代の吾妻太郎助亮が築城したと言う地元の伝承があるが、不明瞭な点が多く、築城年・築城主は不明と言った方が良いだろう。加沢記...
大阪城に入った真田幸村(真田信繁)と真田大助は、豊臣秀頼を守り、1615年、大坂夏の陣にて討死したというのが通常の説です。しかし、敵前を突破して、九州の薩摩まで落ち延びたという伝承もあります。大阪から船に乗って逃れたとされています。まぁ、こ...
松代城松代城(まつしろじょう)は戦国時代には海津城(かいづじょう)と呼ばれていた輪郭式平城で、国の史跡に指定されています。別名は、貝津城、長野城、茅津城(かやつ)とも言います。築城時期は不明ですが、武田信玄が善光寺平に進出すると、ここにあっ...
松代城下に残る「旧横田家住宅」をご紹介したいと存じます。横田家は、旧松代藩士で、禄高150石の中級武士だったそうです。そのため、住宅と言う名がついていますが、武家屋敷です。そもそも武家屋敷と言うのは、藩から貸し与えられたものですので、今でい...
佐賀県唐津市にある肥前・名護屋城からちょっと離れた、真田昌幸陣跡の「サナダサエモン様の墓」へお参りさせて頂きましたので、その詳細レポートを記しておきたいと思います。NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公である真田幸村(真田信繁)を祀ったとされる...
関ヶ原の戦いのまえ、真田昌幸・真田信幸(真田信之)・真田信繁(真田幸村)の親子は、徳川家康が発した会津征伐の号令に従い上田城・沼田城を出発します。大阪城(大坂城)を出た時は、徳川家康らに同行していた真田信繁(真田幸村)も、途中で父・真田昌幸...