真田幸隆・真田昌幸といった真田家の家紋は「六文銭」です。六連銭とも言います。
真田家が六文銭を旗印や家紋にした意味は、皆さまご承知の通り、下記の通りになります。
三途の川での渡し賃は、六文であると当時、信じられていたのです。
旅人はいつ死んでも大丈夫なように、衣服の裾に六文銭を縫い付けたと言われ、戦国時代に戦った足軽なども、そのようにしていたと言われています。
そもそも、三途の川と言うのは、三筋の川がある言う意味でして、渡河方法が三種類あったとされます。
善人だった人は金銀七宝で作られた「橋」を渡れます。
軽い罪人だった場合には、山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡れます。
重い罪人は強深瀬、あるいは江深淵と呼ばれた難所を渡ります。
平安時代の末期になると「橋を渡る」と言うのが無くなって、全員が「川を渡る」と言う事になります。
そして、そのあとには、全員が「渡舟」で渡河するという考え方に変化しました。
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具体的には、三途の川のほとりに木があって、そこに奪衣婆と懸衣翁がいます。
婆は渡し賃(六文銭)を持たない人が来れば、衣服を奪い取ると言われています。
そのため、死んだ際には六文銭を持っていれば安心だと言う事になったのです。
六文って、いくらくらいかと申しますと、江戸初期の貨幣価値で、今で言う300円程度となります。
すなわち、50円が6枚ですね。
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電子マネーにて決済もできる現在ではありますが、仏教式の葬儀では、六文銭を持たせるという習俗がずっと続いています。
しかし、現在では貨幣単位が「文」(もん)ではなく「円」ですし、貨幣のような金属は火葬では不向きと言う事もあります。
そのため、どうしているかと申しますと「紙」に印刷した六文銭「冥銭」を副葬品とする事が多いようです。
まぁ、本当に三途の川があるのか?、はてまた、六文銭が必要なのか?は、ご想像にお任せするしかないです。
上記写真は、九度山の真田庵の門にある真田家の家紋です。
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※三途の川や六文銭に関しては、色々な説がありますので、その一例としてご理解を賜りますと幸いです。