タグ: 武田勝頼

富沢豊前守【富澤豊前守】と望月主人

 富沢豊前守(富澤豊前守)は、富沢出羽守の次男。生没年などは不詳。 次男でありながら武勇を誇ったようで吾妻七騎の旗頭として、長篠の戦い、沼田城攻略戦、対北条戦など真田昌幸の配下しとて参加。 一軍の将ではないものの、武勇伝ある猛者であり、真田...

大戸真楽斎とは?~手古丸城主【大戸城主】

 大戸真楽斎(おおと-しんらくさい)の本姓は浦野氏で、信州の滋野氏の一族であり、手古丸城主(大戸城主)であった。 岩櫃城主・斉藤憲広の妹を正室に迎え入れ、羽尾氏と鎌原氏の領地争いでは、斉藤氏・羽尾氏に荷担して、鎌原氏と争った。 その後、真田...

恩田越前守と恩田伊賀守~沼田衆

 恩田家は、上野・沼田庄恩田(群馬県沼田市)の土豪で、1561年の段階では沼田衆に、恩田孫五郎・恩田与右兵衛尉の名がみえ、上杉謙信の支配下に加わっていたとみられる。 1579年に北条氏政が沼田城を領国としたが、その後、武田勝頼の命を受けた真...

於きた【於北殿・於北様】~真田信綱の正室?

於きた(於北殿・於北様、きた)は中野の箱山城主・高梨政頼の娘です。井上城主・井上清政(井上次郎座衛門)の養女になってから、真田家の跡取りである真田信綱に嫁いだと推定されますが、正室ではなく側室であったとも考えられます。ただし、真田信綱の妻は...

禰津元直と根津政直と禰津昌綱(根津信光)とは

禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...

甲斐の武藤家とは? 真田昌幸が継いだ武藤家

 真田昌幸が最初、養子に入った武藤家に関して調べてみました。 甲斐の武藤家は、甲斐源氏である武田氏の庶流・大井氏からの支族であり、武田信玄の母・大井の方が、その大井氏の出身です。 すなわち、武藤家は武田家の親族衆です。 戦国時代の甲斐・武藤...

常田隆永と常田俊綱と常田隆頼そして常田作兵衛

 常田隆永(ときだ-たかなが)の父は諸説有、真田頼昌、海野棟綱、海野幸義などがある。 海野棟綱の3男とする説になると、武田信玄に仕えた真田幸隆が兄であり、常田隆永は常田家に養子として入った。 なお、矢沢頼綱よりも早く武田幸隆の配下に加わった...