真田家に関連する事項など
真田父子が攻略に参加した「鉢形城」~歴史・構造・整備状況~
概要豊臣秀吉の小田原攻めの際、北国勢に属した真田昌幸と信幸・信繁父子は、「松井田城」(群馬県安中市松井田町)・「箕輪城」(群馬県高崎市箕郷町)など上野(こうずけ)にある北条氏の城攻めで活躍した。その後も「鉢形城」(埼玉県大里郡寄居町大字鉢形...
真田家に関連する事項など
概要豊臣秀吉の小田原攻めの際、北国勢に属した真田昌幸と信幸・信繁父子は、「松井田城」(群馬県安中市松井田町)・「箕輪城」(群馬県高崎市箕郷町)など上野(こうずけ)にある北条氏の城攻めで活躍した。その後も「鉢形城」(埼玉県大里郡寄居町大字鉢形...
片倉景綱(かたくら-かげつな)は、伊達政宗の家臣で軍師的な役割を担った重臣であるが「片倉小十郎」と言った方が分かりやすいだろう。片倉景綱(片倉小十郎)は、1557年に片倉景重の次男として誕生した。母は本沢真直の娘(本沢刑部真直の娘)。異父姉...
1589年(天正17年)10月、豊臣秀吉の裁定で真田昌幸の持ち城とした「名胡桃城」(なぐるみ-じょう)を北条氏が策謀によって奪うという事件がおきた。秀吉はこの事件をきっかけに1590(天正18)年3月から小田原攻めを開始、真田一族も前田利家...
「春日山城」の構造(縄張)現在、「春日山城」の遺構は春日山を中心に60万㎡以上の面積に広がり、きわめて大規模なものである。標高約180mの山頂の「実城」(本丸)を核とする本城地区を中心に、その周囲の4㎞内を固めている砦・番所地区、城内家臣屋...
築城時期「春日山城」(新潟県上越市)は、室町時代・戦国時代・江戸時代初期の戦乱の中で、越後(現新潟県)の守護代長尾氏・戦国大名上杉氏・近世大名堀氏の本城として機能し、1605(慶長10)年に廃城となった。その築城時期について、もっとも早い時...
武田氏滅亡後の真田氏の動向と信繁真田信繁の父・真田昌幸は1582(天正10)年3月に武田家が滅亡すると織田信長に服属した。昌幸は信濃佐久・小県2郡と上野国を管轄した滝川一益の与力となり、「厩橋城」に母・恭雲院と次男で当時11歳の弁丸(信繁)...
「龍口寺」の大書院江ノ島からみて北東の高台にある寂光山「龍口寺」は、1337年(延元2年)に日蓮宗の開祖である日蓮の弟子日法が、「龍ノ口法難の霊跡」として一堂を建立したのが始まりとされている。「龍ノ口法難」とは、1271年(文永8年)に日蓮...
「新府城」の構造「新府城」は 1581(天正9)年、真田昌幸らを普請奉行として築城された。築城経緯等については、「真田昌幸が築城に関わった『新府城』~築城背景を探る~」(https://sanadada.com/2986/)を参照城の構造は...
「新府城」の概要「新府城」は韮崎市の北方、「七里岩」の台地南端の小山に築かれた戦国時代末期の山城である。「七里岩」は八ヶ岳の火砕流によって形づくられ、長野県境から韮崎までの釜無川左岸に約30㎞にわたり高さ70m前後の急な崖が続く。その台地上...
上野・白井城「白井城」は群馬県渋川市白井に位置する室町時代から江戸時代初期の城郭である。利根川と吾妻川の合流地点、吾妻川側の断崖上に築かれ、越後(新潟県)から関東平野への出入り口を抑える要衝であった。「白井城」へのアクセスは、関越自動車道の...