長崎基家(長崎元家)(ながさき-もといえ)は、1538年生まれで長崎弥左衛門尉とも呼ばれる。
最初は滝川一益の家臣であり、主に奉行として活躍した。
1582年の本能寺の変のあと、滝川一益の命を受けて、援軍を要請する為、滝川家の家臣になっていた本多正重と共に徳川家康を訪ねたが、徳川勢は援軍を出していない。
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滝川一益と共に、長島へ戻り、滝川一益が1586年に没したあとは、織田信雄に仕えた。
その後、豊臣秀吉に仕えたが、小早川秀秋の家臣を命じられ、朝鮮出兵では戦功を立てたと言う。
1600年、関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋から「西軍を裏切って東軍に味方したい」と言う、徳川家康への使者としても活動が見られる。
1602年、小早川秀秋が死去したあとは、徳川家康に仕えて約1600石となっている。
1610年6月12日に死去。享年73。
大河ドラマ「真田丸」では、長崎基家を松田賢二さんが演じる。
・滝川一益~織田四天王の名将も本能寺の変で・・
・真田昌幸~戦国時代を巧みに生き抜き真田家を守った名将
・天正壬午の乱の全容~神流川の戦いから北条・徳川の勢力争い
・神流川の戦いの現場を往く~美学にこだわった滝川一益の撤退戦
・小早川秀秋~関ヶ原では裏切るも、実は勇猛果敢で領民からも慕われた武将