真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子が在陣した「名護屋城」~構造・整備状況を中心に~
概要真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)において豊臣秀吉が本陣とした「名護屋城」(佐賀県唐津市)に滞在した。「名護屋城」は玄海灘に突き出した波戸岬の付け根に当た...
真田丸関連の史跡
概要真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子は、1592(文禄元)年から1598(慶長3)年までの朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)において豊臣秀吉が本陣とした「名護屋城」(佐賀県唐津市)に滞在した。「名護屋城」は玄海灘に突き出した波戸岬の付け根に当た...
「龍口寺」の大書院江ノ島からみて北東の高台にある寂光山「龍口寺」は、1337年(延元2年)に日蓮宗の開祖である日蓮の弟子日法が、「龍ノ口法難の霊跡」として一堂を建立したのが始まりとされている。「龍ノ口法難」とは、1271年(文永8年)に日蓮...
はじめに真田一族の主な城郭には、室町時代からの「真田本城」・「松尾古城」(長野県上田市)、武田信玄の幕下となった真田幸隆が1551(天文20)年に攻略し本拠とした「戸石城」(長野県上田市)、1563(永禄6)年に攻略した新たな本拠とした「岩...
真田幸隆・真田昌幸や真田信之・真田幸村と言った真田家にもゆかり深い吾妻の岩櫃城(いわびつじょう)。岩櫃城は、最初、鎌倉時代の吾妻太郎助亮が築城したと言う地元の伝承があるが、不明瞭な点が多く、築城年・築城主は不明と言った方が良いだろう。加沢記...
大阪城に入った真田幸村(真田信繁)と真田大助は、豊臣秀頼を守り、1615年、大坂夏の陣にて討死したというのが通常の説です。しかし、敵前を突破して、九州の薩摩まで落ち延びたという伝承もあります。大阪から船に乗って逃れたとされています。まぁ、こ...
松代城松代城(まつしろじょう)は戦国時代には海津城(かいづじょう)と呼ばれていた輪郭式平城で、国の史跡に指定されています。別名は、貝津城、長野城、茅津城(かやつ)とも言います。築城時期は不明ですが、武田信玄が善光寺平に進出すると、ここにあっ...
松代城下に残る「旧横田家住宅」をご紹介したいと存じます。横田家は、旧松代藩士で、禄高150石の中級武士だったそうです。そのため、住宅と言う名がついていますが、武家屋敷です。そもそも武家屋敷と言うのは、藩から貸し与えられたものですので、今でい...
佐賀県唐津市にある肥前・名護屋城からちょっと離れた、真田昌幸陣跡の「サナダサエモン様の墓」へお参りさせて頂きましたので、その詳細レポートを記しておきたいと思います。NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公である真田幸村(真田信繁)を祀ったとされる...
関ヶ原の戦いのまえ、真田昌幸・真田信幸(真田信之)・真田信繁(真田幸村)の親子は、徳川家康が発した会津征伐の号令に従い上田城・沼田城を出発します。大阪城(大坂城)を出た時は、徳川家康らに同行していた真田信繁(真田幸村)も、途中で父・真田昌幸...
宮城県白石市の白石城から外れた郊外にある、片倉家墓所と片倉喜多の墓、田村家墓所を訪問・お参りさせて頂きました。田村清顕の墓片倉喜多の墓から約70mほど離れた別の場所に「田村家墓所」があり、田村清顕の墓などがあります。スポンサーリンク (ad...