【戦国大名と城】後北条氏の城郭体制を探究する~神奈川県西部の足柄地方の城郭をもとに
概要戦国大名は領国の拡大に伴い支城体制の確立に努め、戦国大名の居城である本城を中心に、周囲には各地域の拠点となる支城や、出張所にあたる枝城・端城(はじ)などの城郭を整備した。これら支城・枝城・端城の中間地点には、兵員等の移動に伴う駐屯地とし...
真田丸関連の史跡
概要戦国大名は領国の拡大に伴い支城体制の確立に努め、戦国大名の居城である本城を中心に、周囲には各地域の拠点となる支城や、出張所にあたる枝城・端城(はじ)などの城郭を整備した。これら支城・枝城・端城の中間地点には、兵員等の移動に伴う駐屯地とし...
概要1467年(応仁元年)に起きた応仁・文明の乱をきっかけに、室町幕府の権力は衰退していき、全国的に戦乱の時代(戦国時代)を迎えた。関東では、1454年(享徳3年)に鎌倉公方・足利成氏(しげうじ)が関東管領・上杉憲忠(のりただ)を謀殺したこ...
概要江戸時代初期は朱印貿易の下、戦国時代の南蛮貿易の影響により日本人の海外渡航や貿易が盛んであったが、江戸幕府はキリスト教の禁止とともに、1616年(元和2年)以降、海外との交流を制限指していった。1641年(寛永18年)以降は、「鎖国」と...
彦根城の概要彦根城(滋賀県彦根市)が築かれた場所は、東に佐和山、西に琵琶湖を控え、その間に1-1.5kmの隘路(あいろ)が続く交通の要衝で、湖北平野と湖東平野の境でもある。彦根城の築城は1604年(慶長9年)に始まり、わずか2か年で主要部が...
井伊直政の生涯井伊直政(いい なおまさ)は徳川家康を支え、江戸幕府の創建に尽力した武将で、酒井忠次(さかい ただつぐ)・本多忠勝(ほんだ ただかつ)・榊原康政(さかきばら やすまさ)とともに「徳川四天王」の一人として知られている。井伊直政は...
藤堂高虎の生涯藤堂高虎(とうどう たかとら)は加藤清正(きよまさ)・黒田孝高(よしたか・官兵衛)とともに「三大築城名人」の1人として知られている。74年間の生涯において22に及ぶ城(筆者確認のみ)の築城や改修に関わり、その築城技術は徳川家康...
天下普請による築城全国統一を果たした豊臣秀吉が1598年(慶長3年)に没すると、五大老筆頭の徳川家康と五奉行の石田三成の対立が激化した。1600年(慶長5年)、石田三成が五大老の毛利輝元を盟主に挙兵すると、徳川家康は福島正則・黒田長政らの豊...
江戸城天守の概要現在、江戸城の本丸の西北端近く、北桔橋(きたはねばし)門の正面に位置する天守台は、明暦の大火(1657年)後の1658年(万治1年)9月に再建された天守台が基となっている。その後、1860年(万延1年)の小天守台を縮小する工...
藤堂高虎による縄張り 江戸城(東京都千代田区)は江戸時代、江戸幕府の政庁及び徳川将軍15代の居城として機能し、明治維新後は天皇が住まいする皇居となり、日本の中枢としての役割を担い続けている。1590年(天正18年) 8月、徳川家康が江戸城に...
概要小牧・長久手の戦いは1584年(天正12年)3月から11月にかけて、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と織田信雄(のぶかつ)・徳川家康との間でおこなわれた戦いである。尾張(愛知県西部)北部の小牧山と長久手を中心に、尾張南部・美濃(岐阜県)・伊勢...