真田信政とは【第2代の松代藩主】
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...
真田信政(さなだ-のぶまさ)は、真田信之の次男として1597年11月に生まれた。母は本多忠勝の娘である小松姫。関ヶ原の戦いの際に、徳川家の人質として江戸城に送られている。この時、徳川家康は真田信之の忠義に対して「吉光の短刀」与え、真田家の家...
真田信吉(さなだ-のぶよし)は、真田信幸(真田信之)の長男として、1595年に生まれた。母は、この当時正室であったとも考えられる真田信綱の娘(清音院)。この母は、のちに真田信幸が本多忠勝の娘・小松姫を迎えた際に、側室に降格となっている。なお...
真田幸村(真田信繁)に関する、ゆかりの地を一覧表にしてみました。みどころ・ポイント、アクセスや場所・行き方など詳しい情報・地図や駐車場情報などはリンク先にてご紹介致しております。ご訪問なさる際の参考になさって頂けますと幸いです。スポンサーリ...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
沼田城(ぬまたじょう)は、1532年に沼田顕泰が築城し、以後、沼田家の拠点となりました。 河岸段丘の台地上となる標高約400mの丘城であり、沼田駅は標高約330mですので、比高は約70mとなります。 沼田氏の先祖は諸説ありますが、鎌倉時代...
名胡桃城(なぐるみじょう)が最初に築かれたのは、1492年に沼田城主・沼田景久の時代とされます。3男である、名胡桃景冬(名胡桃三郎景冬)が沼田城の支城として築城し、その子・名胡景夏が継承しました。沼田家は北条家を頼るのか、はたまた上杉家を頼...
鎌原幸定(かんばらゆきさだ)は、真田家の祖・真田頼昌の子で、真田幸隆の弟。 海野棟綱の3男とする説もある。官途は大和守。 その後、上野吾妻郡の海野氏の一族である三原城主・鎌原幸政(鎌原修理亮幸政)の養子となった。 武田信玄が信濃に進出す...
金子泰清(かねこやすきよ)の官途は美濃守、通称は新左衛門。 生没年は不明であるが、利根郡追貝村(沼田市利根町追貝)の名主であったとされ、妹(又は娘)が沼田顕泰が寵愛した側室となると、沼田家の家臣に加わったようで、沼田景義の伯父(又は祖父)...
真田信繁にござる。江戸時代からは真田幸村?とも呼ばれているようじゃが、まぁ、ワシはどちらでも良いぞ。 さて、いつもは「こっち」で出没する機会が多いのじゃが、今回は特別に遠路はるばるやってきたでござるよ。 それでは、簡単にワシ「真田幸村(真...