真田信繁(真田幸村)ゆかりの「春日山城」の歴史~築城・普請・廃城~
築城時期「春日山城」(新潟県上越市)は、室町時代・戦国時代・江戸時代初期の戦乱の中で、越後(現新潟県)の守護代長尾氏・戦国大名上杉氏・近世大名堀氏の本城として機能し、1605(慶長10)年に廃城となった。その築城時期について、もっとも早い時...
築城時期「春日山城」(新潟県上越市)は、室町時代・戦国時代・江戸時代初期の戦乱の中で、越後(現新潟県)の守護代長尾氏・戦国大名上杉氏・近世大名堀氏の本城として機能し、1605(慶長10)年に廃城となった。その築城時期について、もっとも早い時...
武田氏滅亡後の真田氏の動向と信繁真田信繁の父・真田昌幸は1582(天正10)年3月に武田家が滅亡すると織田信長に服属した。昌幸は信濃佐久・小県2郡と上野国を管轄した滝川一益の与力となり、「厩橋城」に母・恭雲院と次男で当時11歳の弁丸(信繁)...
禰津元直(ねづ-もとなお)は、信濃の小県郡禰津を本拠地とする戦国武将で、1495年生まれ。根津元直、祢津元直とも書く。官途は宮内大輔。禰津常安斎とも。子は禰津勝直、禰津政直、禰津信忠。1541年、武田信虎が小県へ侵攻した際に村上義清の軍勢に...
塔原幸貞(とうばら-ゆきさだ、海野幸貞、海野三河守幸貞)は、海野輝幸の4男で、正室は矢沢頼綱の娘であり、真田昌幸とは従兄弟にあたる。真田昌幸の進言により、武田勝頼から塔原家の家督を相続することが認められ、信濃先方衆20騎持ち塔原城主となる。...
真田信之(さなだ-のぶゆき)は、武藤喜兵衛(真田昌幸)の嫡男として1566年に生まれた。幼名は源三郎。母は山手殿。父・武藤喜兵衛は、真田幸隆の3男であったことから、武藤三郎左衛門尉の養子となっており、騎馬15騎、足軽30人を率いる足軽大将と...
真田信繁にござる。江戸時代からは真田幸村?とも呼ばれているようじゃが、まぁ、ワシはどちらでも良いぞ。 さて、いつもは「こっち」で出没する機会が多いのじゃが、今回は特別に遠路はるばるやってきたでござるよ。 それでは、簡単にワシ「真田幸村(真...