戦国時代・江戸時代の武将、城郭など
池田綱重・池田長門守綱重 真田家の家臣
池田綱重(いけだつなしげ、池田長門守綱重)は真田昌幸の家臣で、砥石城代を務めた時期もあったと言う。 真田昌幸の話によると「真田家随一の奇襲の名人」とされ、徳川勢との第一次上田城の戦い(上田合戦)では、池田綱重が鉄砲隊を率いて、徳川の先鋒部...
戦国時代・江戸時代の武将、城郭など
池田綱重(いけだつなしげ、池田長門守綱重)は真田昌幸の家臣で、砥石城代を務めた時期もあったと言う。 真田昌幸の話によると「真田家随一の奇襲の名人」とされ、徳川勢との第一次上田城の戦い(上田合戦)では、池田綱重が鉄砲隊を率いて、徳川の先鋒部...
相木森之助(あいきもりのすけ、相木盛之助、相木幸雄)は、武田家の一族・加賀光経(加賀美四郎)の家臣。 加賀美四郎の腹心であったとされるため、筆頭家老と推定でき、真田三代記では勇者として登場する。 賀美家は、武田氏祖・武田信義の弟・加賀美...
姉山甚八(あねやまじんぱち)は、真田家の草の者。 すなわち忍者である。 おなじ草の者である女忍・お江や、奥村弥五兵衛らと共に、甲賀の山中に潜入。 山中忍びの牛原の茂兵衛と戦うと、甲賀の飛苦無を肩に受けて大怪我を負った。 甲賀からの撤退する...
根津甚八さんと言うと、どうしても、著名な俳優・根津甚八さんを連想する方も多いかと存ずるが、ここでは真田十勇士の根津甚八についてご紹介したい。 真田十勇士に登場する根津甚八(ねづじんぱち)の姓は、滋野三家(海野・禰津・望月)の根津である。 ...
湯本家とは? 草津温泉の土豪・湯本善太夫が、湯本家の長であったが、1563年5月、長野原の戦いを機に武田信玄に出仕。 1563年9月、真田幸隆(51歳)が吾妻郡の岩櫃城を攻めると、湯本善太夫を重んじ、岩櫃城攻めにおいて200余りの小隊を率い...
由利鎌之介(ゆりかまのすけ)は、真田三代記や大坂夏陣図にも、由利鎌之介の名で登場する実在の人物。 真田十勇士の由利鎌之介は「史実の由利鎌之介を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説があるが、鎖鎌の名手であり、槍の達人と...
1553年に生まれた矢沢頼康の父は、真田幸隆の弟・矢沢頼綱。 父・矢沢頼綱は一時期、岩櫃城代・沼田城代を勤めた程の真田家にあっては信頼置ける一門衆であった。 父・矢沢頼綱の正室は根井清雲の娘だが、矢沢頼康の母であるかは不明であるが、可能性...
真田十勇士の猿飛佐助(さるとびさすけ)の出自は、信濃・鳥居峠の麓に住んだ「鷲尾佐太夫」という郷士の息子で、本名は井辺武助と言う人物が真田十勇士での設定だ。鳥居峠の麓と言えば、真田幸隆発祥の真田の里となる。上田市真田町の角間渓谷には「猿飛佐助...
槍の名手・穴山小助(あなやまこすけ)は、穴山信光の長男で1568年生まれ。 真田十勇士の設定では、実在した武田家親族衆・穴山梅雪(穴山信君)の甥となっている。 物語では、3歳で母と死別し、また武田家が滅亡すると、穴山小助は父・穴山信光と共...
真田幸隆の嫡男・真田信綱 真田信綱(さなだのぶつな)は、武田家の家臣・真田幸隆(真田幸綱)の嫡男として、1537年に生まれた。 母は真田家の譜代家臣・河原隆正の妹(名前不詳、恭雲院)。 弟に真田昌輝、真田昌幸と真田信尹がいる。 父・真田幸隆...