【豊臣秀吉と城】幻の城「聚楽第」の構造・建物を探究する~絵画資料・文献史料・考古資料から~
幻の城「聚楽第」の概要現在、高等学校の歴史科目「日本史探究」で使用されている各種教科書のうち、山川出版社版『詳説日本史』(2022年検定済、2023年4月発行)では、学習項目「豊臣秀吉の全国統一」に聚楽第(じゅらくてい)のことが扱われている...
幻の城「聚楽第」の概要現在、高等学校の歴史科目「日本史探究」で使用されている各種教科書のうち、山川出版社版『詳説日本史』(2022年検定済、2023年4月発行)では、学習項目「豊臣秀吉の全国統一」に聚楽第(じゅらくてい)のことが扱われている...
「御土居」とは 「御土居(おどい)」は京都の町を取り囲んだ構築物であり、豊臣秀吉が1591年(天正19年)1月から構築を始め3月には完成したという。当時の記録には「洛中惣構(らくちゅうそうがまえ)」(『滝川文書』)、「京惣堀」(『駒井日記』...
概要1582年(天正10年)8月12日早朝、上洛中の織田信長が明智光秀に本能寺で討ち取られた(本能寺の変)。そのとき豊臣秀吉は毛利氏の備中高松城(岡山市北区)を攻めていたが、速やか講和して京都に戻り、明智光秀を山崎の戦いで打ち破った。豊臣秀...
概要1614年(慶長19年)、方広寺(京都市東山区)の鐘銘問題をきっかけに豊臣家と徳川家が対立し、全面戦争となった。同年10月上旬、徳川家康は自ら大軍を率いて大坂へ向かい、11月中頃までには全国の諸大名からなる約20万の大軍勢で豊臣大坂城を...
豊臣大坂城三の丸の石垣豊臣秀吉が築いた大坂城(以下、「豊臣大坂城」という)は、1583年(天正11年)9月から1599年(慶長4年)にかけて、4期に分けられ本丸・二の丸・惣構え・三の丸の順に築城工事がおこなわれた。豊臣大坂城は大坂夏の陣(1...
豊臣大坂城本丸の現状豊臣秀吉が築いた大坂城(以下、「豊臣大坂城」)の中枢である本丸は、大坂夏の陣で焼失し、江戸幕府が築いた大坂城(以下、「徳川大坂城」という)の再築工事によって地中に埋められている。現在、国の特別史跡に指定されている大坂城跡...
豊臣大坂城の現状豊臣秀吉は1583年(天正11年)9月から大坂の石山本願寺跡に大坂城(以下、「豊臣大坂城」という)の築城を始め、その工事は豊臣秀吉没後の1599年(慶長4)年ごろにかけて断続的に続いた。その間、豊臣秀吉は全国統一事業を急速に...
築城までの経緯戦国時代末期の1580年(天正8年)、織田信長は10年にわたり戦った石山本願寺と講和をなし、石山本願寺の本拠・大坂の地を手に入れた。大坂は上町台地の北の先端にあたる要害の地で、北を流れる淀川を通じて瀬戸内海から京都につながる交...
概要大阪の中心に位置する「大阪城公園」は現在、「大阪城天守閣」や歴史建造物が建ち並び、外国人を中心に多くの観光客が訪れている。公園内の旧大坂城域(約73.5万㎡)は、1953年(昭和28年)3月に国の特別史跡(「特別史跡大坂城跡」)に指定さ...
概要静岡県藤枝市の東に所在する田中城には、徳川家康の死因と関連して、次のような伝承が知られている。徳川家康は1605年(慶長10)年、将軍職を徳川秀忠に譲って大御所となり、1607年(慶長12)年に駿府城(静岡県静岡市)に移った。駿府城を居...