姉山甚八(あねやまじんぱち)は、真田家の草の者。
すなわち忍者である。
おなじ草の者である女忍・お江や、奥村弥五兵衛らと共に、甲賀の山中に潜入。
山中忍びの牛原の茂兵衛と戦うと、甲賀の飛苦無を肩に受けて大怪我を負った。
甲賀からの撤退する際には、奥村弥五兵衛の助けもあり、なんとか山中忍びを振り切っている。
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関ヶ原の戦いで負傷
その後、石田三成のと徳川家康の「関ヶ原の戦い」で、奥村弥五兵衛が率いる、徳川家康・奇襲部隊に選ばれた、14名のひとりとして参加。
7ヶ所の傷を負い、無念の中、伊吹の忍び小屋にて息をひきとったと言う。
以上が、真田太平記にて放送された内容となる。