信州・真田家は、武田家臣団の中でも有力であり、また、江戸時代においてはも存続したことから、戦国時代からの家伝文書や藩政史料などは比較的残されている。
ただし、江戸時代の1731年に、江戸の松代藩邸が焼失した関係で、失われた文書も多く、よくわからない部分も多々ある。
松代藩士の私書である「真武内伝」や「滋野世記」、そして、幕末に編纂された「真田家御事蹟稿」などは、真田家だけでなく武田家の研究においても基本的な文献となっている。
最近では1981年に発刊された「真田家文書」(米山一政編)が史料としては際立っている。
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その他、下記のような史料もある。
近代には昭和戦前期に藤沢直枝が『真田文書集』(1940年)において関係文書を紹介し、猪坂直一は『真武内伝』等の編纂物のほか西上野の史料である『加沢記』や軍記物である『甲陽軍鑑』などの史料も活用して『評伝真田一家』(1940年)『真田三代年表』(1932年)『真田三代録』(1980年)などの定本を著述している。
昭和戦前期には史料紹介や戦記類が中心であったが、戦後には『信濃史料』や『群馬県史』など自治体史類の刊行や、武田氏、後北条氏など真田氏とも関係する戦国大名研究の進捗に伴い実証的研究が本格化している。小林計一郎は『真田一族』(1973年)において数々の新見解を示しているほか、近世の真田藩政史では上野国吾妻群や沼田藩政史の研究を行った山口武夫、松代藩政史の研究を行った田中誠三郎らがいる。ほか、真田氏の近世大名化の過程を検討した河内八郎や山岡信一、吾妻郡攻略に関する唐沢定市、系譜考証の寺島隆史、武田氏研究の立場から研究史の整理や領国形成過程に関して検討を行っている堀内亨や柴辻俊六らがいる。