【豊臣秀吉と城】大坂冬の陣・夏の陣に関する考古資料の解説~茶臼山本陣跡や城の破却・落城などに関する遺構・遺物~
概要1614年(慶長19年)、方広寺(京都市東山区)の鐘銘問題をきっかけに豊臣家と徳川家が対立し、全面戦争となった。同年10月上旬、徳川家康は自ら大軍を率いて大坂へ向かい、11月中頃までには全国の諸大名からなる約20万の大軍勢で豊臣大坂城を...
概要1614年(慶長19年)、方広寺(京都市東山区)の鐘銘問題をきっかけに豊臣家と徳川家が対立し、全面戦争となった。同年10月上旬、徳川家康は自ら大軍を率いて大坂へ向かい、11月中頃までには全国の諸大名からなる約20万の大軍勢で豊臣大坂城を...
豊臣大坂城三の丸の石垣豊臣秀吉が築いた大坂城(以下、「豊臣大坂城」という)は、1583年(天正11年)9月から1599年(慶長4年)にかけて、4期に分けられ本丸・二の丸・惣構え・三の丸の順に築城工事がおこなわれた。豊臣大坂城は大坂夏の陣(1...
豊臣大坂城本丸の現状豊臣秀吉が築いた大坂城(以下、「豊臣大坂城」)の中枢である本丸は、大坂夏の陣で焼失し、江戸幕府が築いた大坂城(以下、「徳川大坂城」という)の再築工事によって地中に埋められている。現在、国の特別史跡に指定されている大坂城跡...
豊臣大坂城の現状豊臣秀吉は1583年(天正11年)9月から大坂の石山本願寺跡に大坂城(以下、「豊臣大坂城」という)の築城を始め、その工事は豊臣秀吉没後の1599年(慶長4)年ごろにかけて断続的に続いた。その間、豊臣秀吉は全国統一事業を急速に...
築城までの経緯戦国時代末期の1580年(天正8年)、織田信長は10年にわたり戦った石山本願寺と講和をなし、石山本願寺の本拠・大坂の地を手に入れた。大坂は上町台地の北の先端にあたる要害の地で、北を流れる淀川を通じて瀬戸内海から京都につながる交...