真田家・真田氏に関する情報
山手殿【山手之殿、山の手殿、今出川典子】武藤喜兵衛(真田)の正室
山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかっていない。生年は不詳。 いずれにせよ、1564年頃?に、武田信玄の足軽大将・武藤喜兵衛(後の真田昌幸、20歳)の正室となった。 別名は山手之殿...
真田家・真田氏に関する情報
山手殿は宇多頼忠の娘という説が有力だが、武田信玄の家臣・遠山右馬助の娘とする説もあり、良くわかっていない。生年は不詳。 いずれにせよ、1564年頃?に、武田信玄の足軽大将・武藤喜兵衛(後の真田昌幸、20歳)の正室となった。 別名は山手之殿...
竹林院(ちくりんいん)の生年は不明。本名も不明。 大谷吉継の娘とされるが、妹・姪とする説もある。 大谷吉継の妻(正室・側室)の名前は不明である為、竹林院の母の名も不明で、生まれた年も分からない状況となっている。 ※「安岐姫」「利世」という...
真田幸村(真田信繁)の両親は下記の通り。 父 真田昌幸 母 宇多頼忠の娘・山手殿 真田幸村の兄弟は下記の通り。 姉 村松殿 小山田茂誠の正室 兄 真田信之 信濃松代藩・初代藩主 弟 真田信勝 弟 真田昌親 妹 真田幸政の正室 妹 鎌原重...
真田幸隆(さなだゆきたか)は、信濃小県郡(長野県東御市)の豪族・滋野一族の本家筋となる海野棟綱(海野信濃守棟綱)の子(諸説あり)として、永正十年(1513年)に生まれた。 そして、山家郷真田(長野県上田市)を知行すると、初めて真田氏を称し...
真田幸隆の嫡男・真田信綱 真田信綱(さなだのぶつな)は、武田家の家臣・真田幸隆(真田幸綱)の嫡男として、1537年に生まれた。 母は真田家の譜代家臣・河原隆正の妹(名前不詳、恭雲院)。 弟に真田昌輝、真田昌幸と真田信尹がいる。 父・真田幸隆...
稲姫(いなひめ)/小松姫(こまつひめ)は1573年に誕生。小松殿とも本多於稲とも呼ばれる。 父は、徳川家康の家臣・本多忠勝で、その長女(第1子)として生まれた。 母は側室・乙女の方(松下弥一娘・月量院)。 幼名は稲姫(いなひめ)、または於...
真田昌幸は、1547年に真田幸隆の3男として生まれた。幼名は真田源五郎。 母は河原隆正の妹・恭雲院(または阿続方)。 この1547年頃は、父・真田幸隆が武田晴信(のちの武田信玄)の軍門に入ってまだ数年程度と考えられ、1545年に旧領「真田...