カテゴリー: 真田家

阿梅【おうめ】とは? 真田幸村の娘・お梅のその後

1604年生まれとされる阿梅(おうめ)は真田幸村の娘で、母は高梨内記の娘・采女(うめね)とも言われる。※采女とは高梨内記と言う武将の事を差しているとも推定されていますし、母親に関してはもちろん諸説あります。この高梨内記は、真田昌幸と真田幸村...

あぐり【あくり】~真田幸村の娘の生涯は?

 あぐりは真田幸村の4娘として誕生しました。 母は正室。竹林院ですが、あぐりの生没年は不詳です。 母の説では、高橋内記の娘説もあるようです。 あぐりと母・竹林院は、大阪夏の陣の際、紀伊にて隠れていましたが捕縛され、京都にいた徳川家康に引き渡...

別所温泉の外湯「石湯」真田幸村の隠し湯

 長野県にある別所温泉の外湯「石湯」をご紹介致します。 この石湯は、小さな外湯ですが、なんと「真田幸村の隠し湯」と言う触れ込みになっております。 ちょっと調べて見ましたら、池波正太郎さんが著作した「真田太平記」の中で、真田幸村とお江と言う女...

小松姫の墓~芳泉寺に眠る小松姫

 真田昌幸が築いた上田城から西へと約10分ほど歩くと「芳泉寺」があります。 上田城から向かう経路からご紹介したいと思います。  現在の上田城からは、西側にある小泉橋を抜けて道なりに進むと、旧松本街道の石碑が見えてきます。 その坂へ左折して降...

真田信尹【真田隠岐守信尹】の生涯

  真田信尹(さなだのぶただ)は、真田幸隆の4男として1547年?に誕生した。 母は正室・河原隆正の妹・恭雲院。 兄に真田信綱、真田昌輝、真田昌幸がいる。 なお、真田昌幸と歳が同じであることから、母は側室だったとする説や、双子だったと言う説...

真田昌輝 真田幸隆の次男であり、真田昌幸の兄

  真田昌輝(さなだまさてる、真田兵部少輔、真田兵部丞昌輝)は、武田家の重臣・真田幸隆の2男。 母は河原隆正の妹・恭雲院。 1543年6月に岩尾城で生まれたとされるが、ちょうど真田幸隆が武田信玄に仕える事になったか、ならないか様々な説がある...

真田信勝・真田左馬助【真田昌幸の3男】

  真田信勝(さなだのぶかつ)は、真田昌幸の3男(4男)とも。生年も不明。通称は真田左馬助。 母の名は某氏とあり不詳だが、兄・真田信之、真田幸村とは母が異なり、年齢もかなり離れていたとされている。 江戸幕府が開かれると、弟・真田昌親と同じよ...

真田昌親【真田昌幸の4男】九度山でも交流

   真田昌親(さなだまさちか)は、1583年に生まれた真田昌幸の4男(3男とも?)。通称は内匠。 母に関しては某氏としかなく詳細は不明。 元服すると信濃内村郷平井村に住んだようで、1600年、関ヶ原の戦いの際には、兄・真田信之に従って、徳...