村松殿 真田家の娘


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 村松殿(むらまつどの)は、1565年に甲府で生まれた。名は於国。

 父は武田信玄の家臣・真田昌幸で、母は正室・山手殿とされる。

 弟に真田信幸(真田信之)・真田信繁(真田幸村)らがいる。

 村松殿は、1582年頃、小山田信茂の一門と考えられる、小山田有誠(小山田弾正有誠)の子である小山田茂誠に嫁ぎ、小山田之知(小山田主膳)を産んでいる。

 そして、小山田茂誠は真田信之の家老となり、小県郡村松(現在の青木村)を領地として与えられた為、村松殿と呼ばれた。

 小山田茂誠の家系は、代々、松代藩の次席家老として繁栄した。

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村松殿と真田幸村の関係

 村松殿は長姉として、真田信之や真田幸村からも慕われていたようで、大坂冬の陣で和睦した後となる1615年1月24日、真田幸村は大坂城内の近況報告と村松殿を気遣った手紙を、徳川勢として出陣していた小山田茂誠の子・小山田之知に託している。

「さてさて今度、思わぬことから合戦となり、わたしたち(真田幸村・真田大助と一族郎党)もこちら(大坂城)へまいりました。おかしなことと思われたことでしょう。しかし、まだ死なずに済んでいます。お目にかかって申し上げたいとところです。あすはどうなるかわからない情況ですが、いまは何事もありません。主膳殿(村松殿の長男・小山田之知)にも時々おあいしますが、こちらが忙しく、ゆっくりとお話もできません。こちらはかわったこともありませんので、ご安心ください。くわしく書きたいのですが、この者が急いでいますので、あわてて書きました。またお手紙をさし上げます。かしく

 正月廿四日 さへもんのすけ  むらまつへ」

 小山田茂誠は返礼として鮭2匹を真田幸村に送っており、真田幸村は礼状を2月8日付で出した手紙なども現存する。

 1630年6月30日に死去。法名は宝寿院殿残窓庭夢大姉。松代の長国寺に葬られている。

 引用元:村松殿

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