根津甚八とは  禰津小六・浅井井頼がモデルの真田十勇士

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 根津甚八さんと言うと、どうしても、著名な俳優・根津甚八さんを連想する方も多いかと存ずるが、ここでは真田十勇士の根津甚八についてご紹介したい。

 真田十勇士に登場する根津甚八(ねづじんぱち)の姓は、滋野三家(海野・禰津・望月)の根津である。

 禰津小六(根津貞盛)と言う、真田幸村の家臣である実在武将がモデルとされているが、その禰津小六は禰津政直の子として1569年に誕生したと推定されている。
 別のモデル説では、大阪夏の陣にて二の丸の東を守備し討死した浅井長政の養子?だった浅井井頼とも。




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真田十勇士 根津甚八

 真田十勇士の話では、大和絵師だった父とともに旅に出て死別したあと、丹波の豪族の屋敷に居候をしていたことがあり、その後、海賊に転じて、海賊の頭領となった。
 上田城を離れていた筧十蔵が、根津甚八の下で世話になっており、筧十蔵とは義兄弟の契りを交わしている。

 真田幸村が、豊臣秀吉のもとに人質としていた際、九鬼嘉隆の九鬼水軍の情勢を探索するよう命じられ、真田幸村が熊野灘に赴いた際に巡り会い、十勇士に名を連ねた。
 穴山小助とともに関ヶ原の戦い大坂冬の陣・大阪夏の陣にて活躍し、真田幸村の影武者となるが大坂夏の陣にて「真田幸村なるぞ」と名のって奮闘し、徳川勢に討ち取られた。

 ちなみに、俳優の根津甚八さんの本名は、根津透さんと言うが、都留市の出身であり、この芸名が真田十勇士の根津甚八に由来しているのは言うまでもない。
 うつ病を患い、椎間板ヘルニアが悪化してからは、惜しまれつつ俳優業を引退している。

 引用元:根津甚八